日々の事

すぐに一杯になって、、頭の中が渋滞するのでアウトプットをしておこう

2016 チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン118km結果 覚書

結果をまず、92キロ給水地点でリタイア。

天候は、曇り。着いてすぐに買いたかったTシャツを購入。2:30開場から駐車場に入れるまで渋滞で車を止められたのが3:00すぎ。
それから準備とTシャツ購入、荷物を預け、4:00スタートと記念撮影もろくにする暇なく慌ただしくスタート。
スタート時点での天候は霧雨だったか、曇りだったか?身体が濡れるほどの悪い天候ではなかった。
気温も寒くなく気づいたらもうスタートという感じ。もう少し準備をスタート前に出来るように開場時間を早めてほしい。

スタートの号砲からトラックを一周し、北麓公園を出てしばらくは長い緩やかな下り坂。
下りの勢いを利用して、周りをドンドン抜かしていく。
作戦では、昨年の南伊豆での教訓(どんなに疲れていても下り坂は勢いよく降りることができる)を活かしペースアップ。それが正しかったのかどうかは定かではないが、50キロまでは5分半から6分の平均ペースで行くと決めていたので、タイムを少し稼げたと思う。

スタートして10キロくらいで右腰に痛みが出始め、もともと痛めていた左足とともに気のせいだと思い込むようにして走り続ける。

30キロあたりで、長い登り坂を登るのがキツくなり、歩く時間が出始める。

50キロまではペースを保つという作戦だったが、すでに難しくなり、作戦変更。
とりあえずジョグペースでもいいから、自分自身が精神的にゆとりを持って走ること、沿道の応援やボランティアスタッフにはありがとうと言う事。

これも、昨年の南伊豆ウルトラマラソンでの反省で、体力的にも精神的にもキツイ状態に追い込まれ、でも何とかゴールしたいという焦りから、ボランティアスタッフや沿道の方に当たり散らすような発言をしてしまったことを後悔し、今年は常に笑顔で感謝をしながら走ると決めていました。

この時点で、ふくらはぎに筋肉痛の症状が出始め、股関節の痛みもあり、完走への希望は薄いと考え始める。

40キロあたりから、携帯のランニングアプリで1キロペースを聞くのではなく、音楽を聴きながら走ることに変更。鼻歌まじりで走れるくらいのペースに落とし、周りの景色を見ながら多少はゆったりとした気分。

関門で時間制限になってもいいという諦めとペースを気にし過ぎないという精神的なゆとりから、逆に痛みも和らぎペースが上がる。

56キロ給水ポイントでは、1回目の荷物が預けられる所。
汗もベタベタでシャツを変えたかったが、着替えは75キロポイントにしか入れていなかったので、来年は56キロにも着替えを用意しよう。

足腰の痛みを、無い物と信じ込み、とりあえず次の荷物ポイントまではたどり着こうとスタート。
この辺りまでは、ほかのランナーも歩いている人は見当たらず。

その後は、自分の中でひたすら『このクソのようなペースのジョグが唯一のおれの武器』と訳わからない呪文を唱えつつ前に進む。

75キロ地点の給水荷物ポイントにて、やっと着替え。
Tシャツを湘南マラソンの物に変え、シューズをadidasからMIZUNOに変更。体温が下がっているので、長袖パーカーを着るようにし、少し長めに休憩。
ここで、給水にレッドブル登場。これは嬉しかった。なんか走れるような気持ちになる。

ここまで、各関門の制限時間をギリギリにくぐり抜け、19時のゴール制限時間にむけて考え始める。
呪文を『歩かなければ、ゆっくりでもジョグで進んでいければ時間内にゴール出来る』に変更。
しかし、足腰にとどまらず、常に振り続けてきた腕まで筋肉痛になり始め、残り50キロ近くこれから走るのかという憂鬱な気分。

80キロすぎからは、『とりあえず次の給水まで歩かなければゴール出来る』と脳に指令を出し続け、ジョグを強要し続けたが、92キロ地点で、足の筋肉痛がひどく、ジョグすらできないのでリタイア。

今回初めて導入した『ショッツ』や『メダリスト』がどれだけ効果があったのか?というのはあまり実感もなく終わった。
次のフルマラソンに再度使用してみて効果を見る。

腰の痛みは左足をかばっていたことと、股関節の硬さに原因が。

ペースに関しては、どうだろう?スタートをもっと落ち着いたペースで行ったとしても途中の関門で捕まっていたと思うので、自分自身の基本性能を高めるしかないかな。

走った後直後の感想としては、118kmは長すぎる。また走れるような気がしてこない。来年はない。

だったが、1日経って筋肉痛を味わいながら、また来年再チャレンジ、毎年恒例の大会にしてもいいかなと思ってしまう魅力のある大会でした。